私の顔は誰も知らない
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著者:インベカヲリ★
出版社:人々舎
ISBN:9784910553016
Cコード:C0095
定価:¥2,420(税込)
発売日:2022.5.16
ページ数:380
判型:46並製
装丁:吉岡秀典(セプテンバーカウボーイ)
■内容
"なぜ多くの女性は、これほどまでに偽りの姿で生きているのだろう"
膨大な数の女性の「個」に迫りポートレートを撮影してきた写真家の、初エッセイ&インタビュー集。抑圧的な社会構造について、そしてそのなかで生きる女性の、人間の幸福について考える。
『私の顔は誰も知らない』とは、社会に適応することを最優先するあまり、本来のパーソナリティが完全に隠れてしまったかつての私であり、似たような経験を持つ、多くの女性たちを表した言葉だ。(中略)学校教育では異端が排除され、社会に出れば、ルールに適応することを求められる。外から入ってくる価値観に振り回され、偽りの自分でしか生きることができなくなってしまう。自分の発言を黙殺し、まったく違う人間を演じることが当たり前になってしまうのだ。
ーー本文より
写真集『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』(共に赤々舎)、ノンフィクション『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』(KADOKAWA)など、写真と文筆を横断する作家、インベカヲリ★。両者の仕事に共通するのは、対象の表面をなぞるのではなく、あくまでも「心」を捉えることにある。
こと写真においては、男性用グラビアにありがちな鑑賞的、消費的ではないポートレートが、写真業界および女性から圧倒的な支持を得て、今もなお撮影オファーが絶えない(2018年には第43回伊奈信男賞を、2019年には日本写真協会新人賞をそれぞれ受賞)。その理由は、撮影前に被写体から時間をかけて話を聞きとることで、その人自身の個人的な経験や考え方に焦点を合わせて、存在そのものを浮かび上がらせるからだ。
ただし撮影された写真には、普段とはまったく違う姿が写し出される。それは何故なのか、その落差には一体何が隠されているのか。
本書では、被写体や女性たちへのインタビューと、インべ自身の語りを通して、多くの女性が偽りの姿で生きざるを得ない、歪な社会構造を炙り出し、女性にとっての、ひいては人間にとっての幸福とは何なのかを考える。
このテーマ(偽りの姿)を体現したブックデザイン(セプテンバーカウボーイ/吉岡秀典による)にも注目。ぜひ手にとって確かめてほしい。
"抑圧、世間体、感情労働、そしてジェンダーとフェミニズム。うまく社会適応しているように見えるけれど、本当はしていないし、するつもりもない。たぶん理解されないから言わないだけ。そんな私たちの肖像"
■もくじ
はじめに/私の顔は誰も知らない/理想の猫とは?/普通を演じる/コンクリートの上のシロクマ/薬で性格を変える/こうあるべきまともな姿/東京は擬態する場所/何者かになるための買いもの/人間であることを疑う/「自分」とは誰か?/普通の人すぎて驚かれる/蛭子能収になりたい/女子校出身者のパーソナリティ/フェミニズムは避けられない/本当の自分はどこにいる?/写真とフェミニズム/カワイイの基準/見た目だけで惹かれる/人間のねじれ方/健康は人による/うつらうつらを許さない社会/魅惑の「死」/死神とのドタバタ劇/独り言を叫ぶ/欲望に見る一筋の光/つきまとう表現衝動/フリマアプリに人生を学ぶ/モニターの向こう側で/私は正常に生きてます/寸劇コミュニケーション/自信を持つ難しさ/パワースポットでSNS地獄を見る/「怒」が足りない/「素を見せろ」の正体/味覚は信用できるか/自分のことはわからない現象/人類は、皆クズ/引きずられるとは?/続・普通を演じる/理想が飛んでくる/勝手にイニシエーション/「ふあふあa」を辿る/写真を通して「私」になる/初期作品に見る混沌/なぜ女は擬態するのか
■はじめに
「この本に出てくる女性たちは、どんな服装が多いですか?」
タイトルについて悩んでいるとき、打ち合わせの席でブックデザイナーの吉岡秀典さん(セプテンバーカウボーイ)から、そんなことを聞かれた。私は考えるまでもなく、こう答えた。
「普通です。そのときどきで流行っている、女性らしい服。『これを着ておけば普通の人に見られる』とわかっていて、選んでいる人が多いです」
言った後、そんな言葉がスラスラ出てくる自分に驚いた。実際に、何人かの女性たちから聞いた台詞であり、過去の私自身のことでもある。が、あらためて言葉にすると滑稽だ。どうして私たちはこうも、〝普通の人に見られる〞ことを意識してしまうのだろう。
しかし、その答えにインスピレーションを得た吉岡さんは、一見、まっとうなのに、よく見るとズレたり傾いたり予想外の姿を見せるブックデザインを考えてくれた。これこそまさに、本書のテーマといえる。
もちろん服装のことだけを言っているのではない。『私の顔は誰も知らない』とは、社会に適応することを最優先するあまり、本来のパーソナリティが完全に隠れてしまったかつての私であり、似たような経験を持つ、多くの女性たちを現した言葉だ。
■版元より
本書のテーマは「擬態」です。
【擬態】
①他のもののようすや姿に似せること。
②動物が攻撃や自衛のために体の色・形などを周囲の物や動植物に似せること。コノハチョウが枯れ葉に似せて目立たなくしたり、アブが有害なハチに似せて目立つ色をもったりすることなど。
「大辞泉」より
本来「擬態」とは動物や昆虫の生態に使用する言葉ですが、人間界においても(人間の生きる社会にも)、多分にあるのではないか、という(もはや)自明の論理の解題を目指しました。
写真家のインベカヲリ★さんは、この解題を、写真表現で続けてきた作家の一人です。本書では、写真作品の制作過程や表現方法、思考や経験などを、文章に置き換えて解題を目指したエッセイです。
インべさんの写真を初めて見た時の印象と衝撃を忘れることはできません。被写体の女性たちが鋭いカメラ目線でポーズをとり、時には素足でウサギの着ぐるみを着て屋上でタバコを吸い、時には海岸でセーラー服を着て海藻を口にくわえ、時にはヌードで竹藪に佇む。それぞれ映し出された写真には、ちょっとしたユーモアとともに、切実な何かを感じました。さらに、女性をモデルにした写真では、今まで見たことがありませんでした。
インべさんは、撮影をする前に被写体の女性から時間をかけて話を聞いて、仕上がりのイメージを膨らませます。その作業は、本人の表側ではなく内側のさらに奥底へと向かい、(今の時点の←これが重要)その人を形作っているキモを掴むことで結実し、写真の重要なモチーフとなります。この過程を経ることで、いわゆる一般的な「グラビア写真」とは一線を画す作品になるのです。興味深いのは、映し出された写真の本人と、普段の本人とには、大分の落差があることです(ここに本書のテーマがあります)。
1作目の写真集『やっぱ月帰るわ、私』(赤々舎/2013)では、写真のみでの構成でしたが、2作目の写真集『理想の猫じゃない』(赤々舎/2018)では、写真とともにキャプション(被写体とのちょっとしたやり取りや、撮影後日談など)を添えることで、前述のコンセプトを強めるのと同時に、結果的に言葉での説明が加わり、より広い支持を獲得したのでした。
インべさんに本(写真集ではなく文字の本)を一緒に作ることを提案した当初は(2017年くらい?)、私(当時は版元サラリーマン編集者)は、ここまで言語化できてはいませんでした。が、連載時(web連載)に被写体や女性たちとの、ちょっとしたやり取りに焦点を当てて原稿を書いてもらう内に、彼等が日本社会で置かれている構造が浮かび上がってくるのでした。根強い家父長制、クローズドな家庭環境、差別丸出しの学校教育、それらをコピー&ペーストした会社組織、そして、総じて影響を受けざるを得ない、彼等の状況(インべさんが写真に写すのは、この抑圧的な社会に抵抗し自分を解放しようとする彼等の姿なのです)。加えて、インべさん自身のことを書いてもらうと、被写体の女性たちと同じような環境、考え方を持ちながらあがいた写真家以前の話、そして、「写真」を手にして主体を奪還し「自分」を獲得していく姿が淡々と立ち上がりました。
「生きづらさ」という言葉を、特にここ2、3年でしょうか、メディアやSNSなどで目にする機会が増えたように思います。人の数だけあるこの「生きづらさ」を、「発達障害」と診断をして一括りにすることで、個々の問題から遠く離れ、矮小化することで本質から目をそらしているように感じます。狂っているのは、果たして私たちなのか、それとも社会の側なのか。私たちは、今置かれている社会状況の一つひとつを、今一度しっかりと注視する必要があるのではないでしょうか。
目次
はじめに
私の顔は誰も知らない
理想の猫とは?
普通を演じる
コンクリートの上のシロクマ
薬で性格を変える
こうあるべきまともな姿
東京は擬態する場所
何者かになるための買いもの
人間であることを疑う
「自分」とは誰か?
普通の人すぎて驚かれる
蛭子能収になりたい
女子校出身者のパーソナリティ
フェミニズムは避けられない
本当の自分はどこにいる?
写真とフェミニズム
カワイイの基準
見た目だけで惹かれる
人間のねじれ方
健康は人による
うつらうつらを許さない社会
魅惑の「死」
死神とのドタバタ劇
独り言を叫ぶ
欲望に見る一筋の光
つきまとう表現衝動
フリマアプリに人生を学ぶ
モニターの向こう側で
私は正常に生きてます
寸劇コミュニケーション
自信を持つ難しさ
パワースポットでSNS地獄を見る
「怒」が足りない
「素を見せろ」の正体
味覚は信用できるか
自分のことはわからない現象
人類は、皆クズ
引きずられるとは?
続・普通を演じる
理想が飛んでくる
勝手にイニシエーション
「ふあふあa」を辿る
写真を通して「私」になる
初期作品に見る混沌
なぜ女は擬態するのか
著者プロフィール
インベカヲリ★(著)
1980年、東京都生まれ。写真家。短大卒業後、独学で写真を始める。編集プロダクション、映像制作会社勤務等を経て2006年よりフリーとして活動。13年に出版の写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎)で第39回木村伊兵衛写真賞最終候補に。18年第43回伊奈信男賞を受賞、19年日本写真協会新人賞受賞。写真集に、『理想の猫じゃない』(赤々舎/2018)、『ふあふあの隙間』(①②③のシリーズ/赤々舎/2018)がある。ノンフィクションライターとしても活動しており、「新潮45」に事件ルポなどを寄稿してきた。著書に『家族不適応殺 新幹線無差別殺傷犯、小島一朗の実像』(KADOKAWA/2021)がある。本書は初のエッセイとなる。
装丁者プロフィール
吉岡秀典(セプテンバーカウボーイ)
1976年静岡県生まれ。美術系の専門学校を卒業後、広告系の事務所に勤務。自由度が少ない仕事にどうしても納得できず、もともと夢だった漫画家を目指して実家に戻る。25歳のとき、たまたま雑誌で見た祖父江慎さんの優しそうな姿に感銘を受け、祖父江慎(コズフィッシュ)の門をたたく。10年後の2011年に独立し、現職。手掛けた書籍は星海社新書の装丁デザイン、『経営戦略全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)『ビジネスモデル 2.0図鑑』(KADOKAWA)など。
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